ボクの両親の時代と今では働き方が違うと思います

こんにちは、ミズイデ(@fashionizumi)です。

昨日は卓球の練習を5時間もやって、汗かいたー。

そして、今朝の体重70.3→70.0でした。

今週も節制ガンバリマス。

さて、今日もブログ書きます。No.426

  仕事を楽しむってどうやったらできるの

先日、土曜日にお正月以来久しぶりに実家へ行ってきました。

実家は埼玉県北本市にあって、さいたま市桜区から21㎞くらいで約50分の道のりです。

行って来たのは、母が入院していて土曜日に退院するので。

父もまだ運転しているのですが、最近椎間板ヘルニアになり足がしびれていたいらしく土曜日ということもありボクが行って来たわけです。

あれだけ元気だった両親がすっかり年を取ったなあ・・・と感じた。

あたりまえか、ボクもいい年なんだからね。(苦笑)

両親は夫婦二人で縫製屋を営んでいました。よくある父ちゃん母ちゃん工場でした。

ボクが中学1年まで埼玉県川口市のアパートで黙々と洋服を縫って妹とお婆ちゃんと住んで父一人で養ってくれて感謝しています。

その時に、何かの縁で今の母と再婚して埼玉県浦和市(現さいたま市緑区)に中古の一軒家を買ってから更に夫婦二人で寝る間も惜しんで働いてくれてました。

その当時はかなり婦人服が売れていた時代で仕事には困らなかったようです。

あ、父は元々紳士服の職人でしたが時代の流れで婦人服に切り替えて成功だったのかもしれません。

その後、5年住んだ浦和の家を売って今住んでいる北本の家を新築で買ったわけです。

ボクが18歳の時でしたから、もう築35年の家も相当傷んでました。

今は住宅ローンも完済して年金で暮らしています。

今まで元気でしたが5年前に父が大腸癌になったり、今回は母が脳梗塞でした。

あまり頻繁に帰っていなかった実家へ帰って思ったのは周りの景色が一変していたことに驚きました。

実家の前にあったお肉屋さんも八百屋さんも無くなってたので父に聞いたらご主人が亡くなったそうです。

ボクも今まで色々とあって我武者羅に働いてきました。

その間にかなりの年月が経ってしまっていたんですね。

そんなことを感じています。

働き方を変えるには

年老いた両親は働くのが美徳とされた時代に生きてきて本当によく働いてたと思います。

盆と正月くらいだったかな、旅行なんて盆と正月に父の実家(群馬県東吾妻町)へ行くことくらいでした。

そんな人たちなので働かなくなった今でもゆっくりできないみたい。

近所で畑を手伝っているからまだまだ足腰はしっかりしてます。

手土産に作ったジャガイモと玉ねぎをもらってきたのを食べたらおいしかった。(^^)

大変だった時のことも今はいい思い出なんだろうと思います。

僕らはどうして働くんだろう

働くのは生活する為です。

だからと言って、ただ働くんじゃなくて働く意義とか遣り甲斐とかを持って働きたいとボクは思います。

洋服を作っているのですが、細い1mmのピンタックが20本も30本も入ったのとかできればヤリタクありません。

大変だけど、だから何なの?!それが生産枚数が細かいと僕らも食えないし商売として成り立たないんじゃないかって思います。

僕らもちゃんと生活ができて、企画するデザイナーも潤って、もちろん売るお店にもいい商品でそんな洋服を作れたら最高かな。

みんなが楽しく仕事ができる企画を作り手で協力できたら可能になる気がします。

そして、僕ら縫製工場はもっと他のことで仕事を作って行けるようになったらもっと楽しそう。

僕らが縫った服が世に出て着てくれた人が喜んでくれれば最高です。

そんな人たちが多ければ多い程作り手が遣り甲斐を感じれるのだと思います。

展示会やショーなどで目玉になる魅せる服も必要なのでしょうけど、やっぱりある程度の生産枚数が無かったら作り手の独り善がりで終わってしまうよね。

作るのが大変な仕様は、できるけどやるだけ貧乏になってしまうことが多いからヤリタクナイだけです。

僕らだって仕事を楽しんでもいいじゃない。

楽しそう♪

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洋服が好き
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縫製工場の掟
さいたま市桜区神田(ジンデ)