縫製の仕事に就いたのは洋服が好きだったから

happy day

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さいたま市桜区にある縫製工場ファッションいずみの水出です

昨日うれしいことがありました

いっぱいあったけど、中でもこれは思いがけなかった

それは、facebookで秋田の姪っ子から友達申請があったこと

ずっと前からfacebookをやっているのは知っていたけど(まま、会ってるから)

LINEでも繋がってるしね、facebookまでは別にいいかなってボクは思ってました

申請に対して断る理由もなく承認して、姪っ子のfacebookページを覗いてみた

そしたら、友達と楽しそうな写真とか母校の先生と写ってる写真、普段見れない姪っ子が見れて良かったかな

それには、そう思える事情が

秋田からさいたま市に出てきて理容専門学校で勉強しながら見習いとして働いて3年

さいたま市の水が合わなかったのか、今年秋田の地元に帰って再就職したら

水を得た魚のように活き活きとしてきた

人って頑張れる何かが必要なんだなって思った次第です。

縫製の仕事して好きな洋服着てた頃

ボクが縫製職人を目指し始めた頃、西新宿にあった縫製工場で修業していて

西新宿の3畳一間のぼろアパートで下宿、風呂なしトイレ台所が共同だった

部屋に似合わないコンポで佐野元春聴くのが唯一の楽しみでした。

その頃、自動車運転免許を持っていなかったので免許を取ろうと思ったけど給料は生活費でなくなってしまう

だから、夜バイトしました(Wワーク)

その時のバイト仲間が新宿だったから文化服装とかに通っていた人が多くいて

ファッションの話とか共通の話題があって友達が増えた

周りに洋服好きな人が多かったように思う

今では信じられないくらい高い洋服を買っていました

DCブランドのバーゲンには必ず行きましたね(笑)

それから、洋服にお金を掛けない年齢に

結婚して、家を買って子供が生まれてとかで自分の服にあまりお金を掛けられないようになった

当然ウニクロがメインだった

他に選択肢が見当たらなかったしね

そんなことが続いてきたけど、やっと子供が成人してボクも50になり

ウニクロ以外の洋服が着てみたいと思いました

ナンデダロウ

見栄ですね

正直、人と被るのが嫌ですね。嫌じゃないですか?

かといって、どこで売ってるの!?その服!みたいなのも着ませんけど

縫っている洋服も変わってきた

修業時代は未だ縫えば売れてた時代だったように思います

それでも、少しは丁寧に縫っていましたよ(当時としては)

でも、ミシンのスピードはMAXが基本でしたね

ダァーダァーダァーと轟音が響いてました

トロトロ踏んでると寝てるのかって怒られました

どちらかと言えば、洋服の形をしているだけの服に近かった(中の下か下の上かな)

そんな工場があちこちにあった時代です

それが、バブル景気がハジケテカラ徐々に変わってきた

それらの類の服は地方工場へそして海外へと生産拠点が移行して行き始めました

僕らも生き残り策を

考えました、動物的直感で

今までを振り返ってみると、いつ潰れてもおかしくはなかったそんな自転車創業でごまかしごまかし続けてこれた

今だから告白します

その昔は縫っていて「この服誰が着るの??」そんな服も多かった

だから、これだったら縫っていてモチベーションが上がる洋服を縫いたい欲望を心のどこかでずっと持っていました

僕らが縫っている服と海外で縫われている服の違いは

それは何だろう!?

海外生産が広がり始めた頃、そう思った

違いが無かったら、逆にそっちの方がきれいだったら

間違いなく仕事は無くなる

縫っていてモチベーションが上がる洋服

それを縫えばいいんじゃないかな、感覚的にそう思った

そのためには、今の環境を捨てて上の技術を身に着ける必要があると気が付いたんです

だって、今の仕事の受注先のまんまで技術アップできるなんて虫のいい話は無いから

それは盲点だった

そして、ボクは難易度の高い洋服を縫えるようになるための修行に入った

縫製のいろはを教えてもらいました

そこで習ったことは意外にも基本的なことを忠実に正確に作業することでした。

今までは、スピード重視の服作りでしたが(これくらいはまあいいか、しょうがないよねが横行)

それとは真逆で確実に地の目を通して裁断する、正確にパターン通りに縫うためにはどうしたら良いのかできるのかを考えながら洋服を作ること

「なーんだそんなことなの。」って思う人もいるかもね

でも、実際にやってみると大変でした(時間が掛かりますから)

洋服が好きだったから

ファッションの世界が好きだったからこの仕事に就きました

脱ウニクロからライトオンとかTKとか買ったけど

どうも、ちょっと違うかなぁ

そんな思いが拭えなかったけど、普段着には着てます

そして今では、「この服を着ればモチベーションが上がる服を着たい」そう思うようになりました(中々買えませんが)

だから、僕らの仕事はそれを縫うことだって

そう思って仕事してるから、仕事が楽しくなった

どうしてこんなことを書いたのか

それは、姪っ子の笑顔を見て働く意義を自分なりにもう一度考えてみて

若かった頃の自分も思い出しちゃったり

結局は楽しく仕事がしたいよな

そう思ったことを忘れないために

空も飛べるはず♪

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縫製職人