ファッションいずみ創立記念日に思うこと

1991年創業時の手製の看板

おはようございます。さいたま市で縫製工場を創めて28年目に突入したミズイデ(@fashionizumi)です。

27年って長かったようなあっという間だったような。No.543

ファッションいずみ創立記念日に思うこと

サムネイルは創立当時の手製の看板です。

アルファベットの文字を買ってきて、これも出来合いのプレートを買ってきたのに貼り付けて完成。

なんで、ファッションいずみにしたのか?松ノ木縫製産地をリスペクトし過ぎてです。

いずみは水出を逆にして出水です。ミズイデって何か言い難いかなって響きとか出て行くような気がして。

何言ってるかよく分かんないですね。

○○縫製とか、○○ソーイングとかじゃないネーミングしたかったんですよね。

で、一応ファッション関係だし、ファッション好きだったから。

独立したものの

長年お世話になった縫製工場を辞める時は少し躊躇しましたが、辞めて一人でやってみたい気持ちの方が強かったので。

しかし、実際12月いっぱいで辞めてから1月は仕事をした記憶がありません。

2月にそれまで住んでいた中野区から浦和市(現さいたま市南区)に引越して来た日が2月3日でした。

完全に下請けで食えてた時代で、仕事も今よりはありましたからどうにかなるだろう的な感覚かな。

いろいろな人にお世話になり、多分忙しくしていたのだと思います。

そんなある日、修業していた縫製工場の社長に会社で取引していた東京ソワールさんを紹介してもらってからなんかいい感じになってきたのを覚えています。

でも、良い時って長くは続かないものです。

ソワールさんが海外生産の比重が増してきて、これはヤバいなって危機感を抱いたのが2002年くらい。

日韓ワールドカップサッカーが開催されて埼玉スタジアム2002ができた時。

その後は、松ノ木縫製さんに協力工場として4年くらいお世話になりました。

それが大きな転機だった。

しかし、2008年リーマンショックの年に2度目の独立を余儀なくされたわけで、

その時に少し覚悟ができてきたかなー、全然ダメダメでしたけどね。

あれから、10年かーそんな感じです。

縫製加工業の未来

バブル崩壊後に独立して、それから海外生産の比重が増していくのを肌で感じてきました。

それでも、国内で縫製工場を継続されている事業所が減ったとは言えまだまだたくさんあります。

うちも、小さいながら忙しくさせてもらって有り難く思っています。

この先どんな業態なら生き残れるかは分かりませんが、今までと同じでは確実に行き詰るはずだとボクは思っています。

現状維持は後退しているのと同意。この言葉がいつも頭から離れません。

去年は現状維持しようとしたからか後退してしまいました。

今年も、もう1ヶ月が過ぎてしまいましたね。

なんかオモシロイことを始めたいと思ってるんですけど、なにしよー。

大きなことはできないけど。

好きなことと縫製を組み合わせたら何か新しいことが見つかるような気がします。

とりあえず笑顔になれる楽しいことがいいよね。

うちの奥さんが笑ってくれるようなことを考えたいと思います。

今日は以上です。

鬼は外、福は内。

笑おう♪

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