縫製工場が生まれ変わるために

JUNKO KOSHINO 2014
JUNKO KOSHINO 2014|オーダーコート、縫代袋縫いしてます

 

日本シリーズ残念でした、燕は鷹に敵いませんでした。

ホークスの投手はみんな150キロ超なんだもの

それに比べヤクルトのピッチャーは130キロ台なのに良く投げました。拍手喝采

さて、

 縫製工場が生まれ変わるために

今までと同じようにやっていたら儲からないと気が付いたら

何かを変える必要があるとボクは思うんです

今までと同じやり方で違う結果を求めるのには無理があるから

加工賃が上がるのならまだしも、上がるどころか下がる一方だったら

仕事の受注先を変えるしかない

けれど、なかなかできることじゃないですよね

仕事先が倒産したら替えるけど、そうでもなけりゃ

そう言ってる僕も自分自身では変える勇気はありませんでした。

 でも、運よく変えることができた

高級プレタポルテを縫う縫製工場の100%孫請けとして3年ほど面倒を見てもらいました

そして、そこも巣立つ時期がきて

なんやかんやと面倒を見てもらいながら紆余曲折を経て現在に至ってます

その経験の中で如何に自分が保守的で変化に対応できていないのか思い知りました

洋服の生産て景気のいい頃は見込み生産である程度多めに作ってたようです

それが、受注生産になって売れ残りが無いように作るようになって

生産枚数がかなり少ないのにも対応して大きいロットにも対応している縫製工場ばかり見てきた

それらの工場はサンプルも縫い小ロットも大ロットも何でも縫えちゃう

品質も最高、人間の人柄もいい

片や品質は大したことない人柄は横柄でふてぶてしいと来たら

マッタク太刀打ちできませんね

20人から30人、50人規模の工場で何でもよろこんで引き受けて

しかも納期管理も完璧なんですよ

仕事の依頼が殺到するわけですよね

ボクの知ってることなんて狭い範囲のことだけなんですけど

それらの縫製工場の社長さんは決まって「仕事の心配なんてしたことない」そんな感じのことを

その言葉の後ろ盾となる信念みたいなものは何だろうって

最近考えるようになった

それは縫製工場として必要とされる仕事を常にしてるってことなんですね

「痒いところに手が届く工場」とか

「お節介が好きな工場」とか

毎年毎年、先様の要求は変わります縫う洋服が変わるので

だから変わり続けないとダメなんです

新しい洋服を縫うために

 

今週もありがとうございました。

さあ、週末を楽しみましょう

 

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水出 俊哉
1964(昭和39)年7月生まれなので夏と卓球が大好きです。
1991年2月、26歳の時に有限会社ファッションいずみを創業。高級婦人服(プレタポルテ)を作り続けて早28年目を迎えました。
主にインディーズデザイナーブランドを手掛けています。
数多くのドメスティックブランドのショーサンプル・展示会サンプルから本生産までお手伝いさせていただいています。
縫製職人が手掛ける洋服のリフォームも好評です。
あと、個人様の縫った洋服1着からでもボタンホールを承っておりますお気軽にお問合せください。

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