映画「七つの会議」と「八億の男」を見て僕なりに思ったこと。

おはようございます。 池の水も温んできてザリガニが元気そうに見えた朝。 神社の隣の三角公園では元気にラジオ体操してる人たちが楽しそうなのを横目に見ながら会社に来たミズイデ@fashionizumi)です。No.722

会社に着いたらちょうどヤマト運輸の人が配達に来てて間に合ってよかった。ついでにブログ書きます。

 映画「七つの会議」と「八億の男」を見て僕なりに思ったこと。

2月22日は猫の日に短パン社長のおごりで映画を観て来ました。

ボクは忘れられない嫌な思い出があります。それは高校生の時初めてのバイト、友だちに誘われて中学生向けの学習教材のセールスだったと記憶しています。

そのバイトは一日中歩いて一軒一軒訪問してセールスするってやり方。もちろんそんなことやったこと無いのだから売れるはずありませんでした。

でも、売れるまで帰ったらダメとか言われて夜遅くまで歩いて何か嫌になってその日で辞めました。人生で最悪の1日だったな。

 縫製工場で働いていた時

その後高校を卒業して縫製工場に就職して1年目も会社に行くのが嫌でした。

なんで嫌だったんだろう。多分つまらなかったから、いや働くのは嫌いじゃないんですよ高校生の時は1年生の頃からバイトしてましたので。

なんだったら中学の時も3年の終わりに暇すぎて面接行ったくらいです。(結果ダメでしたけど笑)

縫製工場の話に戻しますね。嫌々ながらも働かないと食べていけないから行きました。

まあまあ仕事が楽しく思えてきたのは仕事も覚えてきたのと一緒に働いている人たちと慣れてきた時。

でも昭和の終わり頃だったから労働環境は今と比べるとよくなかったな。

第三土曜日だけ休みで他の土曜日はフルだったし、平日も遅くまで働いて給料も安かった。

賞与もなく社会保険はおろか雇用保険すらないそんな時代。苦笑。

 平成になり独立してから

夫婦2人で働いている時は朝早くから夜遅くまでがんばればがんばった分だけ稼げたから働きました。

その後大きくしようと人を雇った時、先ず雇用保険は必須だと思ったので加入しましたが社会保険までは加入できませんでした。

 社会保険に加入したのはつい5年くらい前

縫製工場では社会保険に加入できない、そんな思い込みがありましたね。

勤めていた頃からそうだったから、国民年金すら納められてこなかった時期もあるくらい。

でも、それじゃダメなんですよね。働き方改革は待ったなしです。

そう自分で労働環境は変えていくしかないのです。働きやすい職場になるようにがんばります。

 

 僕たちのできることでよろこんでくれる人の為に仕事をがんばりたいと思います。

万作の花が咲いてました。

楽しく仕事をしたいのはみんな同じなんだよね。

仕事を楽しもう!

今日は以上です。

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水出 俊哉
1964(昭和39)年7月生まれなので夏と卓球が大好きです。
1991年2月、26歳の時に有限会社ファッションいずみを創業。高級婦人服(プレタポルテ)を作り続けて早28年目を迎えました。
主にインディーズデザイナーブランドを手掛けています。
数多くのドメスティックブランドのショーサンプル・展示会サンプルから本生産までお手伝いさせていただいています。
縫製職人が手掛ける洋服のリフォームも好評です。
あと、個人様の縫った洋服1着からでもボタンホールを承っておりますお気軽にお問合せください。

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