縫製工場の経営者で社員に夢を見せている人をボクは知っている

今日も朝が来た

今日も朝が来た

おはようございます

最近の楽しみは夜11時過ぎに晩飯食べながら「あさが来た」を見ること

15分間の至福のひと時

さて、今日のブログは

人生はどん底を経験した方が大きく成長できる

26歳でファッションいずみを創業してから、早25年以上が過ぎました。

25年もやってると多少なりとも紆余曲折はあります

創業した頃は1991年でまだバブル景気の余韻が残っていたので順風満帆の船出でした。

しかし、1995年あの忌まわしい地下鉄サリン事件から徐々にメーンの取引先様の業績が悪化の一途を辿りはじめた

それでも海外生産移行後も8年ぐらいはお世話になりましたが、2003年に1回目の落とし穴にはまりました

それは、メーンのフォーマル専業アパレル様と決別しました

ほとんど仕事が無くなったのです

修業時代から困った時はいつも松ノ木親方に相談していたので

その時も相談したら、優しい親方は助けてくれたのです

本当に感謝しています。

それから5年くらい松ノ木縫製の協力工場としてお世話になりました

縫製のいろはから、人間として経営者としてのいろはまで親方無しでは今のボクは無いと言っていいくらい教えてもらいました。

しかし、甘ったれのボクのことを思って

このままじゃ、水出がダメな人間になってしまう

それは、子供のころからボンボン育ちで

今も仕事には苦労しないでありつける環境にどっぷり浸かり温室育ちもいいとこ

「自分で仕事を取ってくる厳しさを知れ!」と親方から卒業宣告を言い渡されたのが

2007年の暮れだった

これが人生最大の危機

どん底はそこから始まりました。(笑)

それでも優しい親方はアパレルを少しずつ紹介してくれましたよ

だから死なずに済んだのです。

「いくら景気が悪いっていったって、水出んちくらいの規模の縫製工場が活きていく道は死ぬほどあるはず」

そんなことも言われました

だからボクは、そんな道を探して探しまくりました

どんだけ酷かったか

それはそれは、ヒドイ酷過ぎました

恥ずかしながら、事務所の家賃を1年間滞納した時期がありました。(今はお支払済です)

事務所を引払うことも考えたほど、しかし大家さんのご厚意で続けてこられました。

マジでマジで金が無かった2008年だった(-_-;)

それでも活路を探し求めた

「水飲んでいれば死にはしない」を胸にどんな仕事でも遮二無二縫っていた

そして洋服のお直しも始めてみたり、ブログを始めてみたりしていたら

1年2年と頑張ったら、どん底だったからそれ以上になるのは簡単だった

一年が短くて本当に良かった(笑)

縫製の仲間や友達、スタッフに家族のおかげです

親方のもとを卒業してからは縫製の仲間達に大変お世話になりました

本当に感謝しています

また、自分ひとりの力じゃどうにもならないってことも嫌って言うほど分かったのもどん底を経験したから

あの時の言葉

「水出はそんな奴じゃないハズだと思う、だけどそんな奴なのかも知れないな。」

効きました、心に響きましたね

あの時、切られなかったらそんな奴街道まっしぐらだったに違いない

間違いないです

ふてぶてしくて謙虚さの欠片もない奴のまんま

やっぱり感謝してこそです

アタリマエのことなんて何もないのですから

健康で仕事が出来る有り難さを教えてもらった、40過ぎてから

そんなに大変だったのにナンデヤメナカッタのか?

正直、ヤメヨウ、もうヤメヨウ_| ̄|○と思ったことは一度や二度じゃありません

周りの仲間が廃業して行くのを見てうらやましく思ったものでした。

仕事はあったけれど従業員や経費の支払いをすると残った金は僅かで

これじゃ、勤めて給料もらった方が余程いいじゃん!とも思った

じゃ、ナンデヤメナカッタのか!?

それは、親方への恩返しするためなんて詭弁は言いません

ただ一つ負けたまま終わるのが嫌だったから

ヤメタラ敗けの様な気がしたから

あともうひとつ、親方と呑めなくなるのが嫌だったから(笑)

どんだけ松ノ木っ子なんだろうね

諦めなければ

諦めたらそこでゲームセット

だけど、諦めなかったらどうにかなるもんですね

生きる道なんて幾通りだってあるんです

マジにそう思った

運転資金借りました、日本政策公庫から

しかし、返せなくなって見直ししてもらって期間延長して何とか完済できました

そんなのが何口もあったのに、今残っているのは住宅ローンだけになった

そして、日本政策公庫にまた融資を申し込んでOKが出た2015年暮れ

どん底の始まりが2007年の暮れだったから、ちょうど8年が経った今

ボクは最高に幸せになった

あの頃に比べたら金があるけど、相変わらずお金持ちではない

それでも幸せなんです

健康で仕事に追われて美味しいごはんが毎日食べられるから

最後に

縫製の仕事に未来はないって言う人が圧倒的に多い世の中

それが常識でしょみたいに

だけど、縫製工場の経営者で従業員に夢を見させている人をボクは知っている

その人は常識はずれな発想を持っているから成功しているように思う

どんだけ成功しているか?

1台何十万もする高級自転車を複数台所有しているのと

今現在従業員の中に産休している人が3人もいて

その人からLINEで生まれたばかりの赤ちゃんの写真が届くって

ナニモノニモ替え難い財産だなって思いました

だって、人の心はその人のことが本当に好きじゃなかったら

尊敬していなかったらそんな写真は送られてこないハズでしょ

ボクもそんな経営者になりたいから、これからもアキラメズニ縫製工場に夢を持ってガンバリマス。

今日は以上です。では、また~

この歌聞くと元気になりますよね♪

365日の紙飛行機

朝の空を見上げて 今日という一日が
笑顔でいられるように そっとお願いした
時には雨も降って 涙もあふれるけど
思い通りに ならない日は 明日頑張ろう

ずっと見てる夢は 私がもう一人いて
やりたいこと好きなように 自由にできる夢

人生は紙飛行機 願い乗せて 飛んで行くよ
風の中を 力の限り ただ進むだけ

その距離を競うより どう飛んだかどこを飛んだのか
それが一番大切なんだ

さあ 心のままに 365日

星はいくつ見えるか 何も見えない夜か
元気が出ないそんな時は 誰かと話そう
人は思うよりも 一人ぼっちじゃないんだ
すぐそばのやさしさに 気づかずにいるだけ

人生は紙飛行機 愛を乗せて 飛んでいるよ
自信持って広げる羽根を みんなが見上げる
折り方を知らなくても いつもまにか飛ばせるようになる
それが希望 推進力だ
ああ 楽しくやろう  365日

人生は紙飛行機 願い乗せて 飛んで行くよ
風の中を 力の限り ただ進むだけ

その距離を競うより どう飛んだかどこを飛んだのか
それが一番大切なんだ
さあ 心のままに 365日

飛んでゆけ 飛んでみよう
飛んでゆけ 飛んでみよう

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縫製工場