もう、メンドクサクテ儲からない仕事はやりません

おはようございます、ヤクルトが久しぶりに勝ってうれしかったミズイデ(@fashionizumi)です。

あれー!でも昨日は、また負けちゃったよ・・・41勝84敗って。

なかなか考え過ぎてブログが書けませんでしたが、今日は書きます。No.468

  ボクが縫製の仕事をしていて思うことや感じること

先ず、なぜボクが縫製の仕事に就いたのかを書きますね。

父親が縫製の仕事をしていた影響を受けたのが一番の理由です。

1983年に高校を卒業して就職先として縫製工場で修業することを決めました。

父の友人の友人だった社長の縫製工場で、いわゆる縁故入社でした。

その当時、第三土曜日と日曜日祭日だけしか休みは無かったし、祝祭日も今ほど多くはありませんでした。

時間だって、いっぱい働いた記憶があります。で給料は安かったし社保なんておろか労災保険まで未加入でした。

西新宿の高層ビルが直ぐそこに見える場所でかなり広かったビルの2階にあり家賃も高かったでしょうし、その当時にしてもよくそこで縫製工場をやっていたなって思います。

じゃあなぜ、そんな会社でって?ボクは思わなかった。

仕事を教えてくれて安いとはいえ生活できる給料ももらえたのだから。

だって、最初は本当に2年くらい使えない奴でしたから。(苦笑)

2年間3畳一間でした。家賃が9,000円、風呂なしトイレ台所が共通。窓の下には神田川~♪

そんな環境でした。

今思えば中卒の父が、頑張って新築の1戸建てを買ったのがやっぱり魅力的に見えたのだと思います。

そう、頑張って仕事を覚えて独立する。

それを、モチベーションに頑張れたんだと思います。

 バブル景気の頃

働き始めて、何年か後にバブル景気がありました。

縫製工場もすごい景気が良かった。

でも、僕らはそれほど恩恵を受けたって記憶がありません。そんなもんです。

縫製工場の社長は軒並み高級車を買ってたけど。

それをみて、縫製工場ドリームを感じたボクでした。

もう、独立して高級車乗りたい、そう思ってました。

だって、仕事して夢がなかったらつまんないもん。

そう思えたのだから、いい時代だったんだなーと思います。

 今はどうなの

知らぬまに、時代が進んで国内の縫製工場が激減してました。

そんな時代に、縫製工場で働く人に働くモチベーションを上げるためにしなくちゃいけないこと。

それが何なのか考えてます。

考えるだけです、どうも答えが出ません。

たぶん、ボクが心から楽しんでいないからダメなんだと思います。

昔のように、独立した頃のように楽しんでいない。

それは、生産性が上がらないから。

だったら、もっともっと生産性のいい仕事を取ってくればいいんだよね。

上がらない仕事ほどストレスが溜まるものはないです。

はあ、簡単な仕事がいい。

だって、メンドクサイの嫌だもん。

そんなことを思う土曜日。

もう、儲からない仕事はやりません。

今日は以上です。

 

もう、この歌大好きなんです♪

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水出 俊哉
1964(昭和39)年7月生まれなので夏と卓球が大好きです。
1991年2月、26歳の時に有限会社ファッションいずみを創業。高級婦人服(プレタポルテ)を作り続けて早28年目を迎えました。
主にインディーズデザイナーブランドを手掛けています。
数多くのドメスティックブランドのショーサンプル・展示会サンプルから本生産までお手伝いさせていただいています。
縫製職人が手掛ける洋服のリフォームも好評です。
あと、個人様の縫った洋服1着からでもボタンホールを承っておりますお気軽にお問合せください。

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