洋服を縫うという仕事には、スポットライトが当たることは少ないかもしれません。
お客様の目にふれるのは、ブランド名やデザイン。しかし、その裏で、一針一針に向き合ってきた職人の手があります。

ファッションいずみは、小さな町工場から始まりました。
ただ言われた通りに縫うのではなく、時には悩み、試行錯誤しながら「本当にきれいに仕上げるにはどうしたらいいか」を考え続けてきました。その積み重ねが、代表・水出の歩みであり、いまの工房の姿勢につながっています。

職人としての原点 代表・水出の歩みと工房の歴史

誕生 1964年7月18日
幼少期〜
学生時代

初めてミシンに触れたのは小学6年生でした。器用か不器用かというよりも、モノを作る楽しさを知った経験となりました。

縫製職人であった父が妹のリカちゃん人形の洋服を作っている姿に、モノづくりのすごさを感じました。

昔から「手を動かして何かを作る」のが好きでした。

おもちゃを買ってもらえず、バルサ材を切ってボンドで貼り合わせてボートを作り、モーターとスクリューを載せて池で遊んでいました。

何もないところから作り上げる楽しさという原体験が、いまの私につながっているのかもしれません。

小学生時代:縫製職人の親父と私
中学入学:親父が縫った学生服を纏う私
高校入学:玄関先で親父と記念撮影
1983年頃~

高校卒業後、20人規模の高級婦人服を手がける縫製工場に就職。

アイロンがけから始まり、ミシン、裁断、外回りなどを8年かけて経験し、技術の基礎を築きました。

縫製の世界に入って最初の頃は、とにかく技術を覚えるのに必死でした。

先輩のミシンを踏むスピードが速くて、どうやってやるの!?と思って、見よう見まねで覚えました。だって教えてくれないんだもん(笑)

今振り返ってみれば、いい環境で学べたと思います。

1991年~

出身地であるさいたま市で、妻とともに縫製工場を創業。

修業先からの紹介もあり、事業は順調にスタートしました。

妻との二人三脚でのスタートでした。朝から晩まで、ミシンの音が鳴りやまない毎日でしたね。

最初に始めた浦和市鹿手袋の仕事場で27歳の誕生日に
自宅兼仕事場で作業をする私と幼い息子
2000年頃~

メーカー各社が生産拠点を海外へ移し始めたことで、仕事は激減し、経営も厳しくなりました。

そんな中でも、品質を上げるために最新のアイロン用ボイラーを導入し、技術の磨き直しに向き合いました。

「このままではダメだ」と思いました。同時に、生き残るには技術しかないと腹を括った瞬間でもあります。

当時は、服を“形にするだけ”の工場がいくらでもありました。私はその一歩先を目指しました。

手がかりは若い修行時代の経験――「手間暇をかけること」でした。

プレタポルテでは、細かなサイズ展開ゆえ、仕上がり寸法を指示通りに合わせることが至上命題でした。許容は±1cm。その範囲でも私は、0(誤差ゼロ)を狙い続けました。そこで培った品質への執着はいまも仕事の芯です。

再修業期間
2002年~
2008年頃

業界最高峰の技術を持つ縫製工場で、プレタポルテの縫製工程と品質管理を学ぶ6年間を過ごしました。

この経験が、会社の方向性を決定づける転機となりました。

教えてもらったのは、「きれいな服」をつくる条件と、そのために手間を惜しまないことの意味でした。コストダウンの潮流に逆らう選択でしたが、工程を増やし、基準を上げる道を取りました。

親方との出会いは、西新宿で修業していた頃。3歳年上の親方は、すでに杉並に工場を構えていて、外回りのついでに寄っていました。そこで目にした製品の“顔”は別次元だと痛感しました。最初に目を奪われたのは「袖の表情」。何が違うのか言語化できなかった私に、見るべき要所を一つずつ教えてくれました。

腑に落ちた瞬間のあの感じ――すこぶるうれしかったのを、いまでもはっきり覚えています。

この再修業があってこそ、私は“ただ言われた通りに縫う”時代を終えて、“一緒に考えて作る”姿勢へと変わっていきました。

ただ縫っただけでは⽣みだせない差がそこにあった
2002年頃に縫ったジャケット
2005年頃に縫ったシルクのジャケット
2009年頃、レディースファッションブランドの展示会にて。スーツを着て慣れない営業を頑張る私
修業後
2010年代

再修業後、ブログを開始するなど新規開拓に積極的に取り組みました。

その結果、有名ブランドや若手デザイナーとの取引や認知が増加しました。

  • ファッション誌「WWD」の表紙を飾った「TARO HORIUCHI(タロウホリウチ)」の作品の縫製を手掛ける
  • 2013年頃 JUNKO KOSHINOと取引開始
  • 山内、川崎祥央、サカヨリなどの新進気鋭のブランドも手掛ける
  • ファッションクリエーターズマガジン Vol.4「プロフェッショナルの志事/ファッションいずみ」2015年6月号掲載

“技術がちゃんと伝わる人”と一緒に仕事ができることは、本当にうれしいことです。

TARO HORIUCHI:切り替えワンピース(2011)
TARO HORIUCHI:プリーツワンピース(2011)
Sakayori:シルクオーガンジーコクーンワンピース(2014)
Phablic×Kazui:大橋トリオファンクラブ限定ロングシャツ(2014)
ドレスワールド服創屋:コーラスドレス(2014)
JUNKO KOSHINO:リバーシブルマント(2015)
JUNKO KOSHINO:金箔コート(2015)
JUNKO KOSHINO:ステッチジャケット(2015)
現在

多様なアパレルブランドと、10年以上にわたり継続的にお取引しています。

その経験を基に品質管理体制を整え、改善を重ねながら、ブランド専属のリペアサービスも開始しました。アフターサポートにも力を入れています。

こうした姿勢と成果をご評価いただき、各種メディアにも取り上げられています。

昔の当社は、ただの“工場”でした。でも今は、“共につくるパートナー”です。

一緒に、技術とセンスを磨き続けられる、そんな仕事を続けていきたいです。

事務所での打ち合わせ
服飾専門学生の見学受け入れ
シェアオフィス(場所・設備の時間貸し)サービス利用者に実演で教える私
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