延反機の想い出

今日は午後からさいたま市桜区は強風が吹いて幟と黒板がぶっ倒れました。こんばんはミズイデ(@fashionizumi)です。

よし書こう。今日も書こう。No.594

 延反機の想い出

今日はボクがいつも使っている生地を重ねる機械「延反機」を動かしている動画をiPhoneで撮って、それをツイートしました。

自撮りしているので、全体が入らなくて見辛くてすみません。

そしたら、僕にしてみたらですけど結構見られてびっくりしました。

インプレッション数が今の時点で1008です。それだけの人が見てくれたって事、僅か12時間くらいで。

伝わってますでしょうか?オーバーに言えば約1000人の人が目にしてくれてさいたま市にある小さな縫製工場のことを知ってくれたかも知れないってこと。(国内縫製工場を応援したいと思う人はRTお願いします。)

存在を知ってもらいたい縫製工場の人は、もっと使うといいと思います。

 そもそも延反機を知らない人が多いってこと

僕らからしたら延反機はいつも使っている日常にあるものですが、縫製工場以外の人は何それ?って感じなんですよね。

だから、興味を持ってもらえたんですね。ボクは面白いなと思った。

そして、続きの意味をこめて裁断シーンもどうぞ。

こんなことをして何になるの?ってことでもとりあえずやってみるといい。

やってみて初めて反応が分かるんだからね。

 延反機は縫製工場の救世主的存在だった

あれは、1985年くらいだったのかな?確かではありませんがその頃縫製工場ではこぞって延反機を導入してました。

それが発売される前は人力で生地を重ねたわけです。

例えば生地幅120cmで1着あたり3m必要で100着作る時、もう重ねるのが大変でした当然1人でやるから1日8時間じゃ終わらず残業して夜中まで掛かって重ねた。

それがこれを使えば、多分2時間くらいあれば余裕で重ねられちゃうんです。

そんな便利な機械はみんな欲しがるわけです。

ただ、専用の裁断台じゃないと延反機本体の重さに絶えられないからセットで購入しなくちゃならないのと設置費用も掛かるから当時で150万円とかそれくらい必要でした。

でも、生地を重ねる時間が5分の1とかでできるわけだし、当時は200着、300着とかのオーダーがあったからバンバン重ねて裁断して縫って直ぐに償却できたみたいです。

でも、ボクが勤めていた会社は買わなかった。

 この延反機は1991年製

1991年といえばボクが独立した年です。

その年に買ったのは中野区にあった山の手ドレスさん。

うちに来たのが2004年です。

山の手ドレスさんが廃業するので格安で譲っていただきました。

その仲介をしてもらったのも松ノ木親方でした。感謝です。

それでも、設置費用とか他のミシンとかも譲ってもらったのでそこそこのお金が必要だったので随分と導入するかどうか悩んだ末に決めて今も活躍してくれています。

もうあれから14年も経つんですねー。

ちょうど設置している時に新潟県中越地震が発生してびびったことを思い出します。

ちなみに、これを設置してくれた石田さんは他界してしまってカッターの刃が切れなくて困っていたのを直してくれたのは渡辺ミシンさんでした。

石田さんも渡辺ミシンさんも松ノ木親方に紹介してもらいました。マジで感謝してます。

松ノ木縫製産地では当時から導入していたからさすがだと思ったなー。

そう、延反機でバンバン生地を重ねてたくさん作って儲かっていたちょうどバブル景気の頃が懐かしく思えます。

でも、あれから30年経ってもまだまだバリバリの現役。

これからも活躍してもらおうと思います。

今日は以上です。

 

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水出 俊哉
1964(昭和39)年7月生まれなので夏と卓球が大好きです。
1991年2月、26歳の時に有限会社ファッションいずみを創業。高級婦人服(プレタポルテ)を作り続けて早28年目を迎えました。
主にインディーズデザイナーブランドを手掛けています。
数多くのドメスティックブランドのショーサンプル・展示会サンプルから本生産までお手伝いさせていただいています。
縫製職人が手掛ける洋服のリフォームも好評です。
あと、個人様の縫った洋服1着からでもボタンホールを承っておりますお気軽にお問合せください。

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