社長ブログ
しゃぶりつきたくなるような服と出会えて本当によかった
- 投稿日:
- 2017-03-11
- (更新日:2021-08-28)

おはようございます、3.11あれから6年です。被災者の方々には心からお悔みとお見舞いを申し上げます。
あの日から改めて電気の有り難さを感じているミズイデ(@fashionizumi)です。
僕たちの生活の中で最早、電気は欠かせません。電気が無いと機械が動かないので仕事にならないから大変です。
震災の頃は輪番停電があってまさか電気が使えなくなるなんて夢にも思っていなかったことを思い出します。
夜も街灯が点かないので真っ暗だったなー、ホントに電気は有り難いです。
電気があるお陰でブログも書けます。
僕らの仕事は洋服で気持ちよくなっていただくこと
洋服を着て心からうれしかったことがありますか?
ボクはあります。
中学校入学の時に父親が詰襟の上着とズボンをオーダーで作ってくれた時は本当にうれしかった。
中卒で上京して紳士服を丁稚奉公して覚えた父だからそれくらいは、お手の物だったみたい。
明らかに他の人が着ている制服とは違っていた、先ず生地がサージを使っていたので見た目がゼンゼン違うのが自分でも分かりました。
それと、制服ズボンには有り得なかった当時憧れののツータックが入っていてそれも目立っていました。
その時と、妹のリカちゃん人形に着せる服を手作りしていた時だけは「親父スゲーな!」とマジで思ったものでした。
何もない所から作り上げることほどムツカシイことは無いと思ったから。
世界に一着しか無いモノを作れるって本当に尊敬してしまいました。
高級既製婦人服を縫っていた父親
そう、ボクが中学校に上がる少し前に紳士服から婦人服に商売替えしてました。
誂えの紳士服の需要が減ってきて、その逆に既製婦人服の需要が伸びてきた時代背景があったかららしい
中学生の頃はもう本当に寝る間もなく働いていたと記憶しています。
作れば売れた時代、メーカーの人が縫い上がった服を工場まで取りに来てくれた時代でした。
その頃の親父が作った洋服を見て感動したことはありませんでした。
もう既製服でロットも多かったから思い入れもくそも無かったんだろうと思います。
もう、ひたすら形にする、そう洋服の形にするだけの仕事をしていたのでしょうね。
裁断屋さんで裁断してもらって、裏地は外注さんに縫ってもらい親父が表と組立母親はアイロンと手伝いして、縫い上がったら穴屋さん入れて穴が開いたら仕上げプレス屋へ持ち込んで納品完了。
そして、次の裁断が上がるまで少し休んで裁ちが上がったらまた縫うの繰り返しでした。
縫製職人修業時代も同じように
高校卒業して手に職をつけたいと思い、父親のツテで西新宿の縫製工場で縫製職人見習い時代に縫っていた服も高級既製婦人服でしたが、出来上がった服を見てそれほど感動をした記憶はなかった。
ラーメン屋さんが普通にラーメンを作る感じに似ているかな?違うか?
まあ、どこの工場もそんな感じで洋服を作っていたんでしょうね。
ところが、ある時ある工場で縫い上がった服を見た時は感動したんです。
久しぶり?いや婦人服を見て感動したのは初めてでした。
何?いつも僕らが縫ってる洋服と全然違うじゃん!?
マジでハンパないと思った。
もうわけが分からなくなったなぁ。
だって、自分たちの仕事が全否定されたくらいの衝撃でしたから。
その時、いいモノを見たことがないといいモノは作れないんだなって思った。
で、当たり前ですが売値も一桁違ってました。(笑)
そんな服を売っているお店なんて行く機会すらなかったから始めて本物の高級婦人服を見た瞬間でした。
どうしても知りたかった
何がどう違うのか?それが分かりませんでした。
それで、教えてもらいました。再修業です。
教えてもらって分かったことはパターン通りに仕上げるためには労力を惜しまないこと。
それと、着た人によろこんでもらいたいと思って縫うこと。
もう、汚れきったボクの心はそれを理解するのに3年も掛かってしまいました。(苦笑)
そう、自分がうれしいと思ったことを人にもしてあげたい。
そんな気持ちで洋服を作ることの大切さを教えてくれる人に出会ったことはボクの宝物です。
しゃぶりつきたくなるような服と出会えて本当に良かった。
うちで縫ったシャツで喜んでもらえたらうれしいな。
agua nagoyaさん(@agua2016)がシェアした投稿 – 2017 3月 10 8:32午後 PST
花は咲く♪
