道は自分で切り拓くもの

迷わず行けよ、行けばわかるさ。良いと思います。

迷わず行けよ、行けばわかるさ。良いと思います。

やっと年末らしくなってきました。

忘年会が続いてます

ボクは若い頃からお酒が嫌いではありませんでした

18歳で西新宿にあった縫製工場に弟子入りして、男は社長とボクだけであとは全員女性でした

20人くらいはいました

年配の方も、若い人もいたけど別にって感じでしたね(いじられてましたから)

ボクはいつも社長と行動を共にしていましたから、外回り終わったら晩飯に連れてってもらった

社長が酒好きだったので、毎晩居酒屋状態

って言うのも、そこも社長の仕事でした

取引先アパレルメーカーの生産担当者を接待という名の○○○

二人きりだと嫌だったのかボクもつき合わされてた

18才はビール飲んで良いんでしたっけ?(笑)

ボクが一番居心地が良かったのは、西新宿のしょんべん横丁

そこで初めて食べた「にら玉」今でも忘れられず、偶に自分で作って一杯やってます

いい時代だったのかもしれません。

道は自分で切り拓くもの

修業時代の社長の行動はつぶさに見てきたから

それが感覚で身に就いてる気がします

30年以上前なのに、既に縫製工場の自立化を模索してました

洋服を縫うだけじゃなく、小売店も経営してました

他にもいろいろやっては、失敗してた(笑)

でも、自宅で経営してたブティックはまあまあ成功してたみたいでした

あとは、閑散期対策

その当時から閑散期はありましたから

縫うものが無くなると不思議とどっかから仕事を見つけて来てました

本当にそれは不思議でした

ある時、ウェディングドレスの下に着るようなパニエだけを縫う仕事を受注してきて

ボクはそれが大好きでガンガンに縫って会社にかなり貢献した覚えがあります

でも、どこのメーカーなのか分からなかった

そんな仕事も受注できる人脈があったのだと思います。

独立してからは、親方の後ろ姿ばかり見てきた

修業時代の社長のやり方もありなんだけど、何かが違うな?ってボクは思った

ボクは洋服の小売りがやりたいんじゃないって思ってたから

そして、毎回毎回ことあるごとに書いてしまう松ノ木親方の後ろ姿を常に追ってた気がします

親方の自立化事業は、ウェディングドレス事業

その後は、自社企画して展示会してニューヨークに行ったり

職人に軸足を常においてた

すごいんですよ、ボクが言っても伝わらないと思うからあんまり声高に言わないけど

まあ、すごい人だなってマジリスペクトしてます。

すっげー辛いだろうなって感じた時だって、ゼンゼン余裕カマシテるんです

カッコいいと思いましたよ。

僕なんかより全然大変なのに、ボクの心配をしてくれる人でしたから

だから、言葉に説得力が生まれるんだろうな

諦めずに続けていれば道は拓ける

それを目の当たりにしたのが

百貨店との取引成立でした

縫製工場の自社ブランドの洋服があの新宿伊勢丹で売っているんですよ

半端無いです

そして、その洋服についている品質表示がうらやましい

それは、アパレルメーカーなら当たり前のことなんですけれど

親方万歳です。

だから、第三回全国アパレルものづくりサミットには来た方がいいと思いますよ。

会場でお会いしましょう

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縫製職人