脱、職人根性ってコラムを書いた時のこと

isao ehama 2016.12.23

今年最後の1週間が始まりました。おはようございます、ファッションいずみのミズイデ(@fashionizumi)です。

 

さて、金曜日(23日)は毎年恒例の埼玉県北本市(ボクの実家も北本市)でミックスダブルスの卓球大会でした。

この大会3連覇中の元全日本マスターズ50代チャンピオン江浜勲さんにサインをもらって笑顔のボクです。

江浜さん残念ながら4連覇ならずでした。僕らの結果はどうでもいいですね。(^^)

 必要とされていなかった時と必要とされるようになった今年

2015年の1月、あの頃と言っても2年前です。

もう、ダメかなと思ってました。ウソです。

ただ、仕事的にはそれほど忙しいって程じゃなかった。

しかし、今の状況はとても忙しいっす。

本当にありがとうございますです。

何で忙しいのか、それは仕事の依頼が増えたからです。

どうして増えたんだろうと自分なりに考えてみました。

 松ノ木親方との出会いが原点

松ノ木親方との出会いはもう30年も前のこと、親方26歳ボクが23歳の時だったと記憶しています。

西新宿にあった縫製工場で修業していた時に男は社長とボクだけ、都内周辺にもそんな縫製工場がいくつもあり女性の職場の中で働いている若い男の同業者が集まっていた「三余会」に誘われて入った時その会で初めて会いました。

衝撃的だったのは、親方26歳で杉並区に30坪の縫製工場を創業したってことです。

24歳で独立したって聞いて、「俺は、あと1年で独立なんて全然無理じゃん!」って思ったのを覚えています。

それ以来親方に感化された僕は、松ノ木縫製(架空の名称です)産地に時間を見つけて通いました。

その時に見た洋服の顔が衝撃的でした。もう、何度もやられてしまいました。

自分の働いている工場の洋服とは明らかに違って見えたんです。

もう、その時に決めた。どうせ洋服を作るのならこんな洋服が作れるようになりたいと。

 やっと、26歳で独立

親方と出会ってから真面目に頑張って自信もついて、何とか1991年に26歳で独立させてもらいました。

当時はバブル景気の余韻もまだ残っていて仕事には困らなかった、しかし10年くらい経った頃海外生産が本格的になってきたのを肌で感じて、今こそ縫製技術のレベルアップを図らないと淘汰されてしまうという危機感を抱き親方にすがりました。

独立してからも事あるごとに電話などしていたけど、やっぱりちゃんと教えてもらわないとダメだと思い松ノ木縫製傘下に入れてもらった次第です。

まあ、ずーっと親方を見て育ってきて思ったのは自分の仕事が忙しいのに業界の為の活動には惜しみなく参加していて、その行動から自然と数多くの人脈が形成されているんですね。行動力ハンパなかったです。

二友会、日本モデリスト協会、縫製組合、その他色々です。

モデリスト協会の運営委員をやっていた時のこと、コラムを書いてみないか!?と言われて書いたことを思い出します。

それを、引用します。

脱 職人根性

人件費の高騰で、日本で日本人による縫製工場の経営はだんだん難しくなってきている。
その中で生き残っている工場と淘汰されていく工場は、どこが違うのだろうか?
そんな素朴な疑問を毎日自問自答してようやく、小さな光が見えてきた

「仕事」とは、人に喜んでもらえる事をすること。人に得をしてもらうこと。
「仕事」=サービスを提供して対価を得て生活をしている
当たり前のことですが、いい加減で不良品を作っていたのでは「仕事」をしていないことになる。
ちゃんとした「仕事」ができなければ、対価も得られず破綻してしまう、淘汰される。
最近では、社会保険庁解体・北海道の食品工場の倒産・・その他いろいろ
ちゃんとした「仕事」をする、と言う「原理・原則」守られなければいつかは破綻してしまう、当たり前のことを分かっているつもりでもなかなかできない。
こんな話を聞いたことがある。「20年前と同じ仕事をしていたら、20年前と同じ対価しか得られない」と、どんな仕事、職業でも「努力・研究・工夫・勉強」して進化しなければならない。できなければ、やらなければ、衰退していくしかない。

「職人」とは、自ら身につけた熟練した技術によって、手作業で物を作り出すことを職業とする人のこと。
「職人」にもいろいろなレベルがあると思う。
技術とは、他の人には難しいことを、できそうに無いことをちゃんとできることだと思う。
誰でも、どこでもできる技術しかなければ、より安くできるところへ流れてしまう・・
しかし、より高い技術力を求めようと思うのは誰でもできそうですが、実際技術力をレベルアップするのは相当難しいことです。
何故なら、教えてもらわなければならず、一から覚えなくてはならず、「職人」の自尊心がそうさせないからです。

これから先、国内縫製工場として生き残っていく為には「いい加減な仕事は絶対にしないこと」
そして「他の誰もができない仕事ができる高い技術力を身につけること」
言い訳ばかりして、他人のせいにして生きてきましたが、自分の愚かさにようやく気づき遅まきながら、「仕事としてするべき事をする、できないならできるまで努力する」そんな光がやっと見えてきました。
最近思うのは、地位の高い人格者・本当の職人は「謙虚」だなとつくづく感じます。
驕らず偉ぶらず、腰が低くて、本当に「能ある鷹は爪を隠す」とはこの事だと感心してしまいます。
私も、そんな人間・職人を目指してより良い「ものづくり」をしていきたい。
歩津太

2007年寄稿。

 松ノ木イズムは人間の生き方の基本を重んじている

どうしても、人間は楽な道を行きたくなります。もうボクは最たる奴です。

縫製の仕事って、抜け道を作ろうと思えばいくらでも作れてしまいます。作っているところをアパレルメーカーの人たちは見ていないから。

特に内側とか裏側なんかは手を抜いても分かり難いから、手を抜きやすい。

だけど、親方の教えは「しっかりと作りなさい」でした。一手間省いてあとでしっぺ返し喰らうと3倍になって損しちゃうよ、逆に一手間掛けた方が保険的に思えて安心だろ。そんなことを言われたのも思い出します。

そんな人柄で手弁当で行動すると好かれないわけがない。

そう、24日土曜日に新規のブランドを立ち上げた方がサンプルと本生産の依頼で来てくれたのも親方からの紹介でした。

仕事が集まる会社って、貴方にお願いしたいって思われることなんだなーとツクヅク感じているボクです。

調子が良いとついついこの事を忘れてしまいそうになります。

忘れずに来年もしっかりと頑張りたいと思います。

 

花束を君に♪

Hanataba wo Kimi ni from taorpiest 3 on Vimeo.

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水出 俊哉
1964(昭和39)年7月生まれなので夏と卓球が大好きです。
1991年2月、26歳の時に有限会社ファッションいずみを創業。高級婦人服(プレタポルテ)を作り続けて早28年目を迎えました。
主にインディーズデザイナーブランドを手掛けています。
数多くのドメスティックブランドのショーサンプル・展示会サンプルから本生産までお手伝いさせていただいています。
縫製職人が手掛ける洋服のリフォームも好評です。
あと、個人様の縫った洋服1着からでもボタンホールを承っておりますお気軽にお問合せください。

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