縫製職人とはアイロン職人でもある

縫製工場を大きくしたいと思って散々失敗をしてきました。

こんばんは、今朝体重を計ったら66.2㎏でほっとしたミズイデ(@fashionizumi)です。

目標の63kgまで焦らずダイエット続けようと思います。No.634

  縫製工場を大きくしたいと思って散々失敗をしてきました。

縫製の仕事に携わっている人が今でも多くいることを知ることができます。

それは、ツイッターとかフェイスブックで自然とつながるからです。

縫製工場関係の方はリアルでお会いしてつながってきましたが、SNSを通じてつながった方々は個人でやれている方が多いです。

ボクが縫製工場で8年間修行して独立させてもらったのが今から27年前の26歳の時、今より仕事は豊富だったと記憶しています。

8年修行しても半人前でしたが縫いは奥さんに頑張ってもらって何とか今に至ります。

独立した当時は3DKアパートの2部屋は仕事部屋で始めました。

洋室6畳が裁断場で洋室の4畳半がミシン場でした。

和室6畳とDKが生活スペースでスタート。

少しずつ仕事が順調に増えてきて、狭いなー兎に角狭いなーと思った。

そう、それとアパートなので隣に騒音で迷惑をかけちゃいけないと気を使う気苦労もあって満を持してボクが30の時に中古一戸建てを購入。ほとんどフルローンでした。

これが今思えば失敗だったかなって思ってます。今なら新築が帰る値段だったから。(苦笑)

それと、結局広さ的には全然広くなってなかったという・・・音は気にせずにできたのと動力工事ができたのが唯一よかったこと。

動力入れたかったのは、接着芯を貼る機械は100Vでは使えなくて三相200Vを引かないと使えないから。

その後、アイロンボイラーもアイロンバキューム代も三相だったから結果引いてよかった。

しかし、ミシン場6畳になったとはいえアイロン台とか増えたし狭かった。

子供も大きくなってきたし、何とかしなきゃいかんと思った。

その時、息子が芯貼りを手伝ってくれたのはいい想い出です。それ以来手伝ってもらってません。

 近くで探して出会ったのが今の場所

平成10年に不動産屋さんに紹介してもらい今の場所に出会います。最初は10坪今のミシン場に全部詰め込んだ。

10坪だから20畳になり広かったのと動力のコンセントが初めからあったんでラッキーでした。

今思えば、家を買わずにここを借りていればよかった。

でも、ここに引っ越してこなかったら出会わなかったわけだし買ってよかったのかも知れない。

そして、広くなって仕事も増えてきた時期だったので思い切って求人募集してみたらいい人が来てくれて1人2人3人4人と増えてまた狭くなった時に隣(8坪)のそろばん塾が閉めたので隣も借りてそこを裁断場にしてミシン場が広くなったからミシンを増やしました。

裁断場が広くなった時に友だちの紹介で今まで使ってた裁断台よりももっと広い1600cm幅で3mの裁断台をもらって裁断も独立当初と比べたら俄然仕事がしやすくなりました。

 そして、2004年に転機が起こりました

先ずはミシン場に今まで使っていたナオモトの簡易ボイラー3キロからもっと大きい5キロのボイラーと配管工事をしました。

ボイラーで作った蒸気を天井に配管したパイプにアイロンのジョイントをいくつもつけてもらいアイロン台のレイアウトがしやすいように伝説のボイラー技師石田さんに格安でしてもらって感謝です。

配管は新品でしたが、アイロンボイラーは確か1982年製の刻印があり壊れた3個のボイラーの良いとこ取りして作ってくれたので値段を安くしてもらって助かりました。

でも、中古品を再生しているもんだからボイラーメーカーには新品が売れないと疎まれてました。それでも豪快に笑ってた笑顔を今でも思い出します。

ボイラーはあれから14年間一度も故障しないでくれています。本当にありがとう、感謝しかありません。

それから裁断台ですが、知り合いの縫製工場が廃業するから延反機を格安で譲ってくれる話が舞い込んできた。

この時も悩んだー!金が無くて悩んだー!ボイラーも安くしてくれたとはいえ20万くらいは掛かったし、悩んだー!

ええ、いつでも自転車操業です。

しかし、延反機の魅力は捨てがたく決めました。中野区からさいたま市まで、しかもうちは2階です。

延反機は非常に重くて専用の裁断台とセットです、移設は1日がかりでした。

その時も石田さんにお世話になりました。

そして、石田さんを紹介してくれたのは松ノ木親方でした。

 松ノ木縫製さんのお世話になることに

その頃、今まで100%下請けだったアパレルメーカーさんの海外生産へ切替が加速していたのを肌で感じてた。

マジでヤバいと思った。設備とか会社を徐々に大きくしてきて仕事が激減してたから。

多分このまま行けば仕事はなくなるだろうと、そんな状況下でボクは技術力アップを指導してもらう決断をして松ノ木親方にお願いしたんです。

そう、僕らの技術なんて大したことなかったので海外に仕事が移ってしまいました。

ならば、もうワンランク上を縫えるようにならないとこの業界で生きていけないと思ったわけだ。

そこで親方から指摘されたのがアイロンボイラーが貧弱すぎる。

こんなボイラーでよく仕事ができるね。そんな感じに言われた。

ちゃんとした服を作るには良いボイラーと馬力のあるバキューム大は必須だと教えてもらいました。

だから、ボイラーと配管工事を決断したわけです。

 孫大将として色々なことを教えてもらった4年間

何度も書いてますが、最初縫わせてもらったのが後ろベンツでコンシールファスナー開きで両脇にポケットつきのタイトスカート。

最初の1枚を先上げとして持っていき検品してもらった時はダメだしばっかりで恥ずかしかった。

「パッと見てすべてがダメだな。」って、アーメン。

縫いもダメ、アイロンもダメ、全部ダメ。

売り物にならないぞって。今までを振り返って申し訳なく思ったほどでした。

それから、ブラウス、ワンピース、ジャケット、パンツと一通り教えてもらいありがとうございました。

まー書きたいことは山ほどあるけど今日はこのくらいにしますね。

あと、根性が悪いと直ぐに見透かされて烈火のごとく叱れた事を付け加えて終わりたいと思います。

4年間お世話になり2008年からボクの新たなスタートが始まり、あれから10年。

何も変わってない自分がいます。

また、しばらくお世話になります。

 

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水出 俊哉
1964(昭和39)年7月生まれなので夏と卓球が大好きです。
1991年2月、26歳の時に有限会社ファッションいずみを創業。高級婦人服(プレタポルテ)を作り続けて早28年目を迎えました。
主にインディーズデザイナーブランドを手掛けています。
数多くのドメスティックブランドのショーサンプル・展示会サンプルから本生産までお手伝いさせていただいています。
縫製職人が手掛ける洋服のリフォームも好評です。
あと、個人様の縫った洋服1着からでもボタンホールを承っておりますお気軽にお問合せください。

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