服作りで生きてきて今が一番楽しいと思えるのは

2017年1月16日の朝日

2017年1月16日の朝日

2017年1月16日の朝日 画像 https://twitter.com/chronos2010

日が昇り日が暮れて日が沈み、夜が来て寝て朝が来ての繰り返しです。

さいたま市桜区の今朝の日の出時刻は6時51分でした。

最高に寒くって我が家の水道が凍結して水が出ませんでした。

水道の凍結防止には朝方3時から4時頃が一番冷えるそうで、その前に水道をちょろちょろと流しっ放しにしておくといいですよー!って知っててワスレマシタ。

昨夜は10時に寝て爆睡したミズイデ(@fashionizumi)です。

服作りで生きてる

ボクは、もうかれこれ34年くらい縫製業界で生きてきました。

その間いい時期、オイシイと思った時期はあまり記憶にありません。

8年間の修業時代に賞与なんてもらったこと数回、それも餅代氷代のレベル。

社会保険は当然加入してませんでしたし、労災雇用保険すら未加入でした。

それでも、西新宿の一等地の家賃とか払いながらなので経営が大変だったのだと思ってたし、

仕事を教えてもらう身だったので本当に感謝しています。今では社会がそんなことを許してくれないですが。

入社する時も給料が周りの同年代の人に比べて安かったけれど、雇ってもらって本当に有り難いと思ってました。

高校三年の夏休みに西新宿の会社まで父親と行きその場でよろしくお願いしました。他社とか考えもしていませんでしたね。

学歴が無くても立派に僕たち家族を養ってくれた父親の姿を見て育ちましたから、手に職をつけよう!そう意気込んでいたように思います。

独立した時が一番楽しかった

1991(平成3)年に親方に憧れて独立したので屋号は「ファッションいずみ」にしました。

「ファッションみずいで」は何かカッコ悪いような気がしてやめた。っていうかミズイデって言い難いから。

別にこれと言って仕事を受注できる先様の宛てがあった訳でもなかったのですが、独立すれば何とかなるだろう的な感覚でスタート。

ミシンとか機材を揃えて形が出来た頃に修業していた社長に紹介していただいたブラックフォーマルで第一位のアパレルメーカーさんに口座を開くことができてそれまた感謝しています。

他にも小さいメーカーさんとか知人友人に紹介してもらいました。

バブル景気がはじけた後でしたが仕事は豊富にあったように記憶してます。

メーカーさんもまだまだ作れば売れてたのかな?こんな若輩者でも仕事を出してくれてツイテマシタね。

縫製工賃もボク的には良かったと思ってます、そうこの時がオイシイと思った時期かな~

4年くらい続きました。

それからは、まー下がりっぱなし。

10年くらい取引して最終的には国内で作らない空気が強まってきたのでサヨナラさせてもらいました。

海外生産って

アパレル不況に「絶食系」の影 大手でリストラ相次ぐ

この記事を見て、やっとか・・・って個人的な感想です。

この記事に出ているメーカーさんの服を縫ってきました。

当時で200億とか売上ありましたから元気でした。

工場会にも顔を出させていただいてました、当然皆さん大先輩ばっかりでしたので話を聞くだけでしたがその経験があったから今までやって来れたのかと思っています。

その頃大人って怖いなーって思いました。背に腹は代えられませんで掌を返すんですよ。マジかよ!でした。

優良工場に表彰された大きな工場が廃業して行ったのを目の当たりにしました。何軒もです。

ほとんどブラックフォーマルを縫っていた工場でしたから、ボクはカラーフォーマル縫ってたから大丈夫なんて思ってけどこっちもヤバくなってきてネズミが居なくなるようにボクもその船を降りました。

いえ、いくら技術があっても並じゃダメなんだなって心底思い知らされましたね。

もう、15年も前から在庫がスゴイって聞いていてましたし、ある時期は銀行の管理下になってたから今までよくねーって思いました。

売れなきゃ作れませんから。

あの頃30だった人が今はもう50代

1990年代僕らの世代は輝いていたように思ってます。

仕事をすれば頑張れば頑張った分が返ってきたから。

あれから20年以上が過ぎてもう50代です。オッサンもいいところ、ハゲてきてるし目は見えなくなるし、初老です。

それだけど、洋服作ってて今が一番楽しいと思ってます。

それは、洋服を企画している人と一緒に作っている感じがしているから。

僕らが縫ったシャツを着てくれている人とリアルで接することができる時代なんです。

与野本町駅前テラスめがね店の門田さん

与野本町駅前テラスめがね店の門田さんがうちで縫ったシャツをショップで買ってくれました。(有り難いです)

確かに洋服は工業製品です。

その昔は工業製品だから機械的に人間も働き一分一秒を競って縫いました。

今でもそれはそうなんですけど、昔は納品センターから先のことは考えていませんでした。

10年取引していて僕らが縫った服を着ている人見たことなかったし、売っているお店すら知りませんでした。

展示会へ行ってもこの人たちホントに洋服好きなのかな?って思っていたのは今だから言えることです。(笑)

今は、僕らが縫った服がどこで売っているのか直ぐに分かるし見に行きます。

HOMEDICT TOKYOin2016.07.18東京都渋谷区神宮前5丁目13−3

HOMEDICT TOKYOin2016.07.18東京都渋谷区神宮前5丁目13−3

リアルクローズを縫っているからでしょうね。

だから、あんまり頓珍漢な洋服は縫いたくないです。

何故なら、誰が着るんだよって思うから。

今日洋服のお直しに来てくれたお客様が

持ってきてくれた古いコート、確かに生地は良いんだけど肩幅が広くて丈が長くてとても今じゃ着れないデザインだってお客様が言ってました。

見ると、ホントにボクもそう思った。

だから、着丈を短くすることはできますが多分着ないと思いますよ。そう言うと、

お客様も多分直しても着ないんだと思ったのでしょう、そのまま持って帰られました。

それを見て思ったのは、時代にあった新しい服って必要なんだってこと。

僕らの仕事は無くならないとボクは思っています。

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