「これどうやって縫ったの?!」って思われる洋服を縫っていきたい。

1991年創業時の手製の看板
1991年創業時の手製の看板

1991年創業時の手製の看板

ミーンミンミン、ミーンミンミン、ミーンミンミン、みーー

夏ですなぁ、夏は海、夏は山、夏は温泉

ボクんちも明日から夏休みになります

よっしゃー!!

それにしても、最近になり反物の着荷が多くなって本当に置く場所が無くなってしまいました。

どこの国内縫製工場も活況を呈している模様です

早いもので今年で創業25年目を迎えることができました。

ファッションいずみを創業したのが1991年(平成3年)です

まだバブル景気の余韻が残っている頃でした

縫製の仕事がたくさんありました

8年間修業させていただき4年間は縫製であと4年は裁断から雑務まで教えてもらい

縫っていた製品はボリュームゾーンと呼ばれる中価格帯のものが大半だった西新宿にあった縫製工場でした

ちょうどそのころプレタブームがあって、高い洋服がウソのように売れていた時代です

修業先の社長もプレタに移行し始めていました

そんな工場があちこちにあって、似非プレタ工場が激増した

ボクは独立する3年くらい前に松ノ木親方と知り合いました

松ノ木親方の経営する縫製工場はその時すでに杉並区で30坪以上の広さがあり何人もの人を雇っていました

ボクが23歳で親方26歳

26歳で本物のプレタポルテを縫う高級婦人服縫製工場の経営者

その時ボクはどうせ縫製の仕事をするのなら、この人みたいになりたいと思いました。

本物のプレタポルテを縫う縫製工場

はじめて松ノ木縫製工場の縫った製品を見せてもらった時

いつも僕らが縫ってる洋服とまるっきり違っていたのを覚えています

上手く言えないのですが、一番違っていたのはパッと見で高そうなオーラがあったこと

特にジャケットの袖の表情がとてもきれいで、どうやったらこんなきれいに袖が付けられるのだろう?!

それは、縫ってる人にしか分からない感情なのかな

本物は10万円以上もするジャケットで、僕らの縫っていたボリュームゾーンのジャケットは5万円くらい

違いは何なのでしょう?

後になって教えてもらってようやく理解できたのですが

ただ縫ってるだけの洋服と、設計を理解してあちこちにアイロンワークで癖取りしながら作りこんでいく洋服の違い

随所で癖取りして作りこむと出来上がりのシルエットがきれいなんです

平面の生地を人間の体に合わせて立体的に作るにはその技が欠かせない

洋服の形になっているだけの服はミシンと家庭用のスチームアイロンでも作れますが

本物のプレタは上質の蒸気が出るアイロンと高性能のアイロンバキューム台が無いと作れ無いってことを教えてもらいました

そして、中の始末も全くと言っていいほど違いました

裏地付のジャケットだから中の始末は買った人には分からないんです

本物は、見えないところも型崩れしない様にちゃんと中綴じしたり裾を千鳥まつりしたりしていますが

似非プレタは全然ダメダメで、工程を簡略化し過ぎって言うか止まってりゃ良いんだろう的な発想ですね

伝わってますでしょうか?

生地の違い

あとは、使っている生地が違いました

これも縫っている人にしか分からない事なんですが、アイロンすると直ぐにアタリが出てしまう生地とか

この素材でこんな複雑なデザインは無理じゃね!?

どうやって縫ってやろうかって考えちゃうような洋服

それを縫えると縫製職人の価値が出る洋服

そんな縫製職人になりたいと思い、それと自分自身をもっと成長させたいと思って独立させてもらいました。

現状維持は後退しているのと同じ

いつも読んでる藤村先生の言葉は本当に勉強になります

僕らの縫製業界では、毎年新素材が開発されています

だから、毎年毎シーズン扱う素材が変わりますしデザインも全く違う服を縫っている

変化に対応できないと死んでしまうから研究とか勉強は欠かせない

でも、それが嫌だって思う自分も少しいます

扱い慣れた素材が良いし、前に縫ったデザインのリピートがあったらうれしい

スゴク稀にそんなことがあって、ご褒美をありがとうと思うことにしてる。

ボクがいつも思うこと

それは、どこででも縫えるような洋服はどこか人件費の安い地域で縫ってもらった方が良いわけです。

僕らにしか縫えない服なんて無いけれど、「どうやって縫ったの?!」って思われるような洋服をこれからも縫っていきたい。

夏の青い空と大きな雲を見て創業時の初心を思い出して思ったのはそんな事でした。

ドライブに行きたくなるよね♪「青い車」byスピッツ

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縫製職人