縫製工場も儲かってた時代があったという話。

今日は朝からブログを書いているミズイデ(@fashionizumi)です。おはよう!No.1364

縫製工場も儲かってた時代があったという話。

確か1989年の車。バブル景気絶頂期でハイソカーなんて言われてたよ。

ブログ見つけたので興味があれば読んでみて下さいね。

【カーライフ】銀幕のクルマに憧れて……ハ・タ・チの2代目ソアラ ―トヨタ・ソアラ2.0GT(1989年式)―

ボクは1982年3月から東京都新宿区西新宿5丁目にあった縫製工場で働き始めた。そこで1990年12月末で退職するまでお世話になりました。

1986年から始まったと言われているバブル景気、縫製工場も景気が良かった。勤めていた会社の社長も金回りがよくなったからかソアラを買ってました。一度も乗せてもらったことないけどw。ちなみに息子さんがいてハイラックスサーフも買ってたなw。

今まで何度も書ているけど、ボクは西新宿から杉並区松ノ木にある松ノ木縫製産地までよく通ってたんですがそんなバブル景気真っただ中に松ノ木社長は車など買わず当時何処の縫製工場も導入していた延反機を買っててうらやましかったのを覚えています。

その頃は1型300枚400枚とか普通にあったのでそれまで寝ずに生地を重ねてたのがウソのようだって言ってた。一気に重ねて裁断してあとはバンバン縫ってもらえばそりゃあ儲かるよね。

生地を重ねるのにとても時間が掛かっていたのが延反機を使うと5分の1くらいの時間でできてしまう夢のような機械でした。うちは2004年に廃業する工場から譲り受けるまで手で重ねてました。

その頃はもう小ロットだったのであまり恩恵には与れませんでしたが、今はもう慣れたけどそれでも機械を使うと楽ですね。これなしでは考えられないくらいです。

縫製工場は人と設備だと思う。

縫製工場は人がいて便利な設備を導入することを最優先した方がいいと思う。車なんて生産性アップにつながらないのにね。それでもやっぱり男は車が欲しくなるもんなだよね。分かります。ということでボクも8年落ちのポンコツだけど買っちゃいました。

毎日投稿してたら仕事が増えて新しい車を購入できました。

バブル景気の崩壊から30年経つけど世の中は回っているわけで儲かっている会社もあるわけです。

昨日松ノ木社長が「昔のようにただ縫っているだけじゃつまらないよな。」と言うので激しく共感しました。そしていろんな話しを聞き自分が好きなことをするのは間違いじゃないと確信。松ノ木社長は縫製工場オリジナルブランドも展開して直販もして次はそうくるかー!ってことをするので話を聞くのが楽しかった。

今日お伝えしたいことは以上です。

松ノ木縫製産地をどうぞー。

明日はもっといいぜ 未来はずっといいぜ 魂でいこうぜ♪

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