下町のプレタポルテ

クボタミシン特製肩パット付けミシン(通称トントンミシン)

クボタミシン特製肩パット付けミシン(通称トントンミシン)

こんにちは、ファッションいずみのミズイデです

昨日のブログのアクセスがボクの記事で過去最高を記録しました

900越えーーー!!

たくさんの方に読んでいただき大変喜んでいます。

これからも精進して行きますのでご指導ご鞭撻の程どうぞよろしくお願いいたします。

さて、今日もはりきって書いちゃいます

下町のプレタポルテ縫製工場

1月の終わりから録画しておいた「下町ロケット」を見始めて昨夜最終回を見ました

痛快なドラマでした。

それを見ていて、佃社長(阿部寛)と松ノ木社長が似ていると思った

あの熱くなる語り口などは特に重なって見えた

夢に真っ直ぐなところも、仕事に一途なのも同じだ

生粋のプレタポルテ縫製工場

プレタポルテについて説明すると、高級既製婦人服のことです

松ノ木縫製産地は本物のプレタポルテ縫製工場だとボクは思っている

偽物は

ファッションいずみ(笑)

松ノ木社長は18歳でプレタポルテ縫製工場で有名な東京東村山のことぶきで約5年修業して23歳で独立したと聞きました。

ボクは18歳で東京西新宿にあった普通の縫製工場で約8年修業した

その修業先の違いが明暗を分けた

ボクが23歳で松ノ木社長が26歳の時初めて会った

だからかれこれ30年近くのお付き合いになります

26歳で既に東京杉並に30坪のコテコテのプレタポルテ縫製工場を経営していたのには驚きました

しかも創業者なんです

はじめて本物のプレタポルテを見た

ボクの修行していた縫製工場で縫っていたのはボリュームゾーンと呼ばれる一般婦人服の少し高めの洋服でした

ですが、松ノ木縫製産地で縫っていたのは高級婦人服の名に相応しいブランドの洋服だった

一目見ただけで違いが分かった

洋服の顔と呼ばれる衿と袖付けがとても綺麗だったのを今でも覚えています

ボクは仕事が終わるとまとめ屋(釦付けなどの内職屋さん)を車で外回りしてから直帰だったから

その足でちょくちょく松ノ木縫製産地まで用もないのに通った

そして、どうしたらそんな綺麗に袖がキマルんだろうと教えてもらった

でも、やり方は教えてもらってもどうしてもアカヌケナイんだよな・・・orz

ビミョウに残念なんですよ

数々の修羅場を見てきた

松ノ木縫製産地には社長の人柄かいろんな人が集う場所だった

中でも縫製工場関係者仲間が多く集まるんです

仕事もいつでも豊富だったから、仕事を融通したりもしてた

ある時、外注先で縫い上がった製品が納まるレベルに達していなかったことがあった

そこで直せないレベルだと社長は判断して死ぬ思いをして自分ちで直して納めたことを聞いた

ゴマカシが、一切通用しない先様だったから

松ノ木縫製の製品として納めるには一切の妥協は許さなかった

また、帝国重工並みの大手アパレルにも一歩も引かないところは

最高にリスペクトでした

松ノ木縫製産地にも経理担当の大番頭さん的な方がいて

今現在売り上げの30%を占めている先様だから今は我慢の時との進言があるにも関わらず

そことの取引を解消したそうです

圧巻だった

マジっすか!?って

その後どうするんですか?って

「楽勝だよ」って

カッコよくないですか

そんなの見ちゃっているから

下町ロケットとダブって見えたって訳です

そんな縫製工場があるんです

自社企画商品秘話とニューヨーク進出秘話

これがまたスゴイ

自社企画はお受験服で有名私立校をお受験する際にお母様が面接のときに着る服を企画販売しているんです

試しにヌーブコンフィニって検索してみたら

お受験服の中古品を売っているサイトがずらっと出てきた

出たら直ぐに売れてしまうほど人気らしい

どれだけ人気があり売れているのかは良く知りませんが

松ノ木縫製産地の売り上げの3分の1はその企画だそうです

当然、お受験服売り場にはライバルブランドもあるわけですが

圧勝!

ライバルのアパレルメーカーが真似しようとしても真似できないそうです

そして、品質表示に記載してある(有)松ノ木縫製って何なの?!って調べても

よくわからない(笑)

その話だけで生ビールが2杯イケます。

そして、ニューヨーク進出秘話とは

これも話を聞いていてぐいぐいっと引き込まれてしまいました

アメリカは、まさに実力の世界

似非プレタじゃ太刀打ちできない圧倒的な技術力と人間力

これも、下町ロケットで拍手喝采したあの場面そうそれです

人徳者は必ず周りの人がちゃんとした評価をしてくれるものなのですね

「松ノ木社長はそんな人じゃない、決してそんな人じゃない」と大勢の人が味方してくれた話

もう、聞いていてうれしくってうれしくって

焼酎お湯割りおかわりっす

どうして、こんな話を書いたのか

それは、日本の縫製工場に夢を持っていれば辛い時期があっても必ず乗り越えられるってことを見せてくれた人がいるってことを知ってもらいたかったから

だけど、あまりおおっぴらに話せないのでスミマセン

もっともっと書きたいことは湯水のごとく溢れてきますから

乞うご期待

じゃ、外回りしてから直帰します

オツカレサマデシタ

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