縫製屋の息子は縫製屋

こんばんは、さいたま市桜区にある小さな縫製工房ファッションいずみのミズイデ(@fashionizumi)です。

昨日はいい天気でしたー。そして、今日も過ごしやすい週の始まりでした。No.611

縫製屋の息子は縫製屋

昨日の日曜日は、川口市卓球協会前期リーグ戦でした。

毎年、前期が春で後期は冬に行われます。

前回の後期リーグ戦で4部残留だったので、昨日は3部昇格をかけて挑みましたが4チームのリーグ戦で3チームが2勝1敗の三つ巴になり惜しくもセット数の差で2位でした。残念・・・

次の後期までに練習をして3部昇格を勝ち取りたいと思います。

顔を見せたら安心してました

さて、試合が終わって時間ができたので久しぶりに埼玉県北本市にある実家へスギフジ純米酒と淡路島の新玉ねぎ「まち玉」を手土産に行ってきました。

さいたま市桜区から25kmくらい、車で45分くらいで行けるのにあんまり帰ってなくてごめん。

せっかく持っていったので一口飲んでもらったら、「これが、日本酒!?」ってびっくりしてた。でしょ!でしょ!(笑)

昭和10年生まれの父と13年生まれの母、今年83歳と80歳。

父は6年前に大腸癌で手術したけど、その後再発もなく元気だし、母は去年脳梗塞の一歩手前で入院したけどこれまた元気。

元気でいてくれて本当にありがとう。戦前の生まれで小さい頃苦労した世代だから体が丈夫みたいでよかったです。

この淡路島の新玉ねぎは美味しくて血液サラサラになるから食べてもらいたくて。

午後8時前だったので直ぐに帰るつもりが1時間以上も話し込んできちゃった。

父はボクと同じ縫製を仕事にしてました。

群馬県吾妻郡東吾妻町の農村で育った父は村にいても仕事はなく中学卒業後、東京の浅草で紳士服の仕立て職人の下で丁稚奉公して独立。この頃の話は耳タコです。(笑)

ボクが小学6年生(1976年)だった頃に紳士服から婦人服に切り替えて寝る間も惜しんで働いてきてくれた姿を見てきました。

そして、ボクが高校3年生の時(1982年)父の念願だった新築を買ったのがこの家。

あれから36年経ち家も両親も随分古くなってました。

そして、父は高校の三社面談でボクの進路のを決める話の時のことをいつも話します。(マジで耳タコです。)

ボクが縫製の仕事に就きたいと言ったのがよほど驚いたみたい。

別に深い考えはなくて、サラリーマンになっても高卒だし新築一軒家は買えないかなーって思ったんです。

それなら、親父が頑張って新築の一軒家を買ったのを見ていたから縫製の仕事には夢があるように思って決めたんですよね。

だけど、まだ新築一軒家は買えてません。(苦笑)

でも、まだ夢は捨ててませんよー!

これから新築一戸建て建てるように頑張りたいと思います。

だって、今は学歴なんか関係ない時代になったでしょ。

今までのようにソレダケシカできない仕事をしていると機械にとって変わられてしまうみたい。

だけど、手に職だけだとなんか足りないと感じてます。

応用というかアイデアが大事なんだと思うんですよね。

今日は、近所のクリーニング屋さんの奥さんがお直しを持ってきてくれた時にうちの奥さんが作ったレースのブラウスを見て「これいいわねー気に入ったから買うわ♪、でも被りだと着難いから前開きに直せないの?」って、

もちろん直せますよー!お安い御用です。(笑)

そんなやり取りに少し明るい未来が見えたような気がしました。

両親と久しぶりに話したらなんか元気もらって帰ってきた。

両親はもう年金暮らしで、民謡にカラオケにグランドゴルフとかして楽しんでいるとか、久しぶりに元気な顔を見れて良かった。

これからもずっと元気でいてね。

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さいたま市桜区神田(ジンデ)