縫製の仕事を楽しくやるためには縫いたくない仕事は請けないこと

JUNKO KOSHINO 琳派400年記念祭

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おはようございます

誰も知らないと思うので自分で言ってしまいます

メーン衣装を縫ったのはファッションいずみです

こんなところにもファッションいずみが

そう、あまり知られていないので自分で告知しまくりです(笑)

さて

どんな仕事でも自分の仕事は楽しくやる

昨日の藤村先生のツィート

やらされ感が満載の、嫌々する仕事は健康すら害する。 質も低い。 自ら取り組む社員が多いと、会社は成功する。 もしあなたの会社の社員が、指示待ち社員が多いとしたら、それはあなたの会社の社風や雰囲気の問題。 それを改めないと、いい人は来ない。 お客も来ない。

昔のボクは、正直やらされ感満載だった

最初からじゃなかった

ある時期から、嫌だなぁ・・・って思いながら仕事してた

加工賃が下がり始めた頃だ

加工賃仕事なので下がるってことは収入が減るってこと

しかし出て行く経費は同じだから、下がった分を何らかの方法で穴埋めしなくては赤字だ

労働時間を長くするのか、人件費を削るのか(加工賃仕事だから大半は手間賃なので)

確かに心が不健康だった

仕事中に笑顔なんてありえなかった(ヤバいよね)

そう、当時を思い出すとスタッフは皆指示待ちでした

全部自分で管理して教えて検品して

全然自分の仕事ができなかった

イライラが募る日々(笑)

今は自ら取り組んでもらってる

やり方、縫い方、検品、指導などはもちろんします(縫製のチーフが)

ボクはブログを書くのと裁断を間に合わせるのに必死だから

若いスタッフがいます

ボクから見たら自分の息子と同じくらいの年齢だから子供のように少しは思ってしまうけれど

もう成人している立派な大人なんです

だから、いちいち「あーだこーだ」って言われるのって嫌だと思った

かつての自分がそうだったように

やり方を縫い方を教えて「これはダメ、これならOK」の基準も明確にして

ストップウォッチを渡して自分の工程を計ってもらう

さっきの自分を、昨日の自分を目標にして仕事しています

だから、目に見えて成長しているのが分かります

こんなにも変わるんだ

昔の会社の雰囲気は正直、悪かった

「息が詰まる」そんな感じでしたね

必死に合わない工賃を合わせようと無駄を無くそうとしてたから

トイレも行けず、昼休みも短く、移動は小走り、角は直角に曲がり・・・更にサービス残業、思いっきりブラック(笑)

もう無理だったから

デキナイ限界だったら請けなければいいんだ、請けちゃう自分が悪いんだ

そしたら少し気が楽になった

そこが始まりでしたね

そこから新たに新規開拓

何でも縫いました

縫って合わないモノは合わないって言いました

だって、元の木阿弥は嫌だよ

しかし、何年も掛かりました

今のスタッフやお客様に巡り合えるまで

良く聞くのが「縫製の仕事選ぶ若い人なんていないでしょ!」

また「縫製で合う工賃の仕事なんて無いでしょ!?」

若い人いますから!合う仕事ありますからーーーーーーー!

勇気をもらったのは

やっぱり、松ノ木親方

松ノ木縫製産地のメーンアパレルJ.Aの仕事が100%に近かったように記憶してます(違ったらスミマセン)

2008年頃、仕事が鬼のように難しくなり小ロットになり加工賃も上がらない

ボクんちと違い30名の社員がいました

けれど、合わない仕事は請けないで他の受注先を開拓してました

今では、全体の10%程らしいです

活気がある縫製工場です、縫製職人の意識が違って見えます。

まとめ

良いスタッフが集まるように会社の環境、労働条件を改善しないと集まらないし定着もしません

それには、良い条件の仕事を受注することが必要最低条件だと考えます

良い条件の仕事をお客様が納得できるように手間暇かけて加工すると遣り甲斐が生まれます

合わない仕事を合わせるために無理してた時間を

今は、こうしたらもっと良くなるのではと一手間掛ける時間に変えられたってことが大きい

そんな思いで加工した洋服を納品した先様も喜んでくれています

するとまた次もお願いしますって言われます

洋服も売れているようです

だから、また次があるんだと思います

そうすると僕らの遣り甲斐がまた生まれる訳で

洋服を縫うことが楽しくなってくる

そんな職場をもっと発展させていきたい

そのためにこれからも発信して行きます

今日もありがとうございます。

では、また

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藤村先生
縫製職人