波乱万丈な縫製職人人生が始まるころの

2016.12.14

おはようございます、昨日書いたブログをまさか当時一緒に働いていた人に読まれるなんて思ってもいなかったから恥ずかしくもありうれしくもありツイッターでの出来事は、いい時代だなって思ったミズイデ(@fashionizumi)です。

ツイッターで思いもよらぬ出来事でした。

波乱万丈の縫製職人人生が始まるころ

そう、その頃中野・杉並・渋谷・新宿・練馬区などに多くの縫製工場があり、そこで働いている数少ない男子。

縫製工場経営者の息子が後継者で働いていました、他は女性ばかりの職場に男子一人みたいな工場が多かった。

ボクもそんな環境の職場でした、先ず初めにそんな縫製男子が集まった野球チーム「山手ファイターズ」に入れてもらったのがきっかけで同業者の男友達ができたんです。

その多くが昭和39年生まれでしたから直ぐに意気投合して休みの日には海に行ったり中野ブロードウェイで飲んだりして楽しかった思い出ばかりです。

草野球は中野の哲学堂でやってた、春の桜が見事な公園でしたね。

そんな縁ができて、遊びだけじゃなく縫製の事も話し合う会「三余会」に誘われて入って伝説の縫製職人と出会いました。

24歳で独立して2年で杉並に30坪の縫製工場を居抜きで借りて経営していた若干26歳だった松ノ木親方と出会ったんです。

はじめ話をした時に創業者だなんて思いもしなかった、だから24歳で創業したって聞いてマジかー!!でした。

もうそれからと言うもの、ことあるごとに松ノ木産地に行ったように思います。

結構近いんですよ西新宿5丁目から清水橋交差点左折して山手通りから一個目の信号を左折して立正佼成会を目指して環七を右折したら直ぐに路地を左折して裏道をずーっと道成りに右へ行くと松ノ木産地に到着っす。もう感覚で今でも覚えてます、押忍。

独立したいと思いはじめました

やっと、4畳半から6畳トイレ風呂付に住めるまでになった頃

毎朝、中野坂上から山手通りを歩いて西新宿まで通いながら独立したいという思いがだんだん強くなってきました。

修業していた縫製工場は20名くらいで縫っていてボリュームゾーンの洋服からプレタポルテブームに乗って変えようとしていたころ、ベテランさんが結婚退職とかで抜けて行った時期でもありました。

人を育てながら縫製のレベルアップも図らなきゃならないので大変だったと思いました。

でも、松ノ木産地の洋服を見て多分これは普通じゃこうは出来上がらないよな!そんな感じの出来上がりの雰囲気を持っていた洋服を見て思ったのは「いつか教わりたい」でした。

会社がプレタポルテを縫えるように変えていたので、ボクだったら松ノ木さんに聞くのになって思ったけれどそうも行かずイライラとしたこともあった。

裁断は縫いよりも直ぐに覚えられて、あとは段取りとか折衝とかやりました。

でも、経営の実権は到底任せてもらえないだろうなって思いました。だから、自分で思った通りに仕事をしてみたいという欲望が強くなって独立させてもらいました。我がまま聞いてもらって感謝しています。

その後数年して修業していた工場も閉めたのでした。

プレタブームは何故訪れたのか

それまで、しゃれた服があまりなかった頃にボリュームゾーンの服がかなり売れてそれを縫っていればよかった、

でも、時代はあっという間に進みそんな服じゃ満足しなくなりもうちょっと高級な洋服が欲しいと思う女性が多かったのでしょうね、

そんな感じでバブル景気に後押しされるように空前のプレタブームの到来でした。

でも、それを縫う工場が少なかった、

アパレルメーカーは作れば売れた時代、服を作りたいから縫製工場を探していました。

そこで縫製工場は工賃がオイシイプレタを縫うようになっていったのでした。

今までボリュームゾーンを縫っていた工場もこぞってプレタ工場へと変貌していった時期、

それだから境界線が分かり難くなって行ったのかもしれません。

しかし、そんなオイシイことは長くは続きませんでした。

そして、バブルの崩壊後に本物は残り似非は消え始めて今に至ります。

だから、当然の結果と言えるかも。

独立させてもらってからボクも幾度となく淘汰の波にサラワレソウニなるのですが、

何とか持ちこたえてきたけど、もうダメだーってなった時、

「ここだ、今しかない!」そんな感じで念願の本物のプレタポルテを縫えるように教えてもらえることになったんです。

ピンチはチャンスでした。(笑)

本物のプレタポルテの工場は基本を忠実に

プレタポルテを縫えるように教えてもらうと言っても学校ではなく仕事をしながら、要は松ノ木縫製の下請けとして面倒を見てもらいました。

はじめは基本のタイトスカートです。

完全先上げ縫って持って行き、緊張の検品を受けました。

結果はアウト!でした。

全然ダメ、マジかープレタポルテ半端なかったです。

何がダメか、ダーツ止まりの位置が左右で違ってるしエクボだしあそこもここもダメ出しでした。

言うなれば、今までは洋服の形をしているだけの服、細かいところが雑になっていたんです。スピード重視でしたから。

プレタポルテの奥義はパターン通りに仕上げる。この一点です。

ただ、洋服の生地は柔らかく動くのでパターン通りに仕上げるのが結構手間暇かかるんです。

それをメンドクサガラズニやるだけしか方法は無い。

今までの考え方を全部捨てました。

はじめはデキナイから時間が掛かりました。

今までよりは加工賃が良かったけど、その分時間も掛かりましたから当然売り上げ落ちました。

そこが、アレでした。

今までのメーカーさんの仕事を必死にやるか、

本物のプレタポルテを縫えるように教えてもらう、だけど売上下がります。

どっちも売上下がるんです。

だったら、新しいことを覚えなくちゃ先がないと思いました。

売上が下がったらその中で遣り繰りする、足りなかったら生活を落とす。

あとは、人生で大事なことも教えてもらいました。

つづく。

何かは変わる、いつかは変わる 100%TRUE,BABY TRUE.